Port of Nordfjordeid
最近各地のライブカメラを見るのが趣味なのだが、ノルウェーやフィンランドの冬景色がしみじみ素晴らしい。海岸線や山肌、ムーミンの挿絵で見た通りなのだな、と思う。
今朝少し雹が降った。らしい。雹だと気がつく前に雨に変わっていた。昨日作った牛乳寒天を切って食べる。どこまでも白いけれど、雪のそれではない色。
ムーンパレスにはナイトキャップ的鎮静作用を感じる。のめり込んで一気に読み進めるというよりは、少量ずつ内服する感じ。「幽霊たち」を読んだだけでオースターが好きですなんて面をして生きてきたけどこれからはちゃんと読む。
http://um1aut.tumblr.com/ask
Google フォームはメニューバーに移動しました。教えて頂いたものにつきましては取り掛かったり取り掛かれていなかったりですが引き続きよろしくどうぞ。こちらも何かあったりなかったりどうぞ。
花粉の時期になってきたので、いつもの耳鼻科に行って薬を処方してもらった。医院は全然患者がきておらず、私の他に一人しかいなかった。近所に同じような診療をする病院があって、どうもそちらの方が評判がいいらしい。こちらの先生はよく言えば気さくで、悪く言えばがさつな人なので、人によっては合わないと感じるのだろう。私は別段いやな思いをしたこともないので、空いているのをありがたく通っている。
帰り道、入試を終えて帰宅する一団と一緒になった。そういえば、そんな季節なのだと気がつく。今は年中大して代わり映えのしない生活をしているけれど、学生の頃は色んなイベントに揉まれながら常に先へ、先へと向かって生きていたのだなあ、となんとなく思い出した。春先の夜は霞んで明るい。
自分のiPhoneを見て、イヤホンジャックがないことに今更しみじみと気がつく。かつてガラケーにアンテナがついていて、これをカラフルに光らせてみたりするという文化があったように、iPhoneを充電しながらジャックにイヤホンをさして音楽を聴くという行為は、これはこれで一つの文化だったのだと思う。イヤホンジャック廃止はそれ以前のやり方から言えば確かに不便な側面はあり、そのためにイヤホン用と充電用で二つの差し込み口がついたドックが販売されているのは当然と言えば当然だろう。しかしなんというか、この種の旧態維持が実現することによって得られる充足は、たぶんノスタルジーに似ていなくもない。
春の風の瑞々しさは、あたらしい果物を噛んだ時のそれに似ている。ほんの少し雪が降ったかと思えば、瞬く間に気温は上がり、そうかと思えば雹が降ってみたりもする。春はもうこの土地に戻ってきたのだけれど、まだ荷ほどきをせず、生きている者たちの様子を観察しているのかもしれない。強い風を吹かせ、時折はまた寒気のために道を開ける。二月の終わりにさえ、雪が降ったことはあったのだから。
ところで、今日が節分というのは人に聞くまで知らなかった。何がなんでも二月三日というわけではなく、立春の前日のみをそう呼ぶとは!
帰りがけにスーパーを覗くと、みんな恵方巻をカゴに入れていた。関東で恵方巻を食べるようになったのはここ十数年程度ではないだろうか。しかしそう考えてみると、イベントとしてすっかり定着したのだなあとも思う。いずれにしても献立に悩む必要がない夜というのは大変ありがたいものだ。それだけでも歳神の方を向いて、御礼を言いたくなるものである。
「人々はばかげたユーザー名を作り、匿名でTumblrにジョークのスレッドを延々と作っていた。」楽しそうだなあ