夏はやっぱり @日本橋
何もやる気が出ない。文章を書いてもうまくいかない。本を買うけれど読む気にならない。音楽を聴いて楽しくも悲しくもなりたくない。ただ映画だけは見ているし、映画館はこれからも行く。イングランドは再ロックダウンで各映画も撮影中止を余儀なくされているそうだが、ファンタビ3をいつまでも待つ。
最近地元のライブカメラをつけっぱなしにしている。もう何年もまともに帰れていない。ライブカメラを通して、この場所を鳥が飛んだとか、信号機が青になって止まっていた車が走り去ったとか、そういうことを逐一リアルタイムで見ている事に意味を見出しているらしい。あまり良くないことだと思う。今ここにある現実を生きていないようなものだからだ。生産性がない。
日々を生きているだけで自分の身体以上のエネルギーを消費している。コロナもあるけど、なんというか。この負債がプラスに転換しない限りは、行動に結果がついてくることはないのかもしれない。無力感に絶望したくなるけれど、今できることをやめたくはないと思う。
今朝は新年早々コンビニのコーヒーマシンでサイズを間違って抽出するという愚行。「仕事始めだからボーッとしちゃいますよね!」と店の人に慰められるなどする。その人は親切にもカップの蓋を棚から取ってくれたのだが、これまたサイズが違っていた。仕事始めだから仕方ない。Sサイズのカップになみなみと入ったコーヒーを慎重に運びながら店を出た。
年越し蕎麦用に買った山菜の水煮がまだあったので、流用したパスタ。もう随分店のパスタを食べていない。
フォローしている方の投稿を見て、面白そうだったので買った。執筆陣に好きな作者が多かったのと、特にウティット・へーマムーンの名前があったのは大きい。届いてすぐ「心焦がすサイゴン」を読んだ。感情がねじ切れるかと思うほど良かった。へーマムーン氏の描くタイ人はチャオプラヤ川を原風景として強く抱いている。異国においても川は彼らの意識から切り離されることはなく、どこにいても彼らのチャオプラヤ川に繋がっている、そういう強い感情を今作にも垣間見た。生きることと国あるいは政治というものが強く密接し合い、混じり合って肉体をなす人々の人生。その、一場面。
精神の調子が悪い時は何一つ面白くないし、いい時は最高に面白く読めるのがブコウスキーだと思う。何というかブコウスキー全般、ゼリーのカップに手を突っ込んでひたすら潰しまくった挙句、気付いたら全部溶けて液体になっていた時の虚無に大笑いしたい人生の人向き。
1巻読み終わった。未だホビット庄を出ていないことに驚く。そしてやはりホビットの冒険を読んだ後なので、諸々理解が及んで楽しい。映画のフロドは若者だったので、原作では五十歳なこと、五十歳なのでそれなりに落ち着きのある雰囲気なのが新鮮で面白い。
ホビットの冒険でもそうだったが、食事の様子が美味しそうで良い。きのことベーコンの料理なんて容易に味の想像がつく(確かに美味しい)けれど、物語に出てくると途端に食べたい気持ちが湧いてくるから不思議だ。それから森で出会ったエルフたちが振る舞ってくれた食べ物。「泉のように冷たくて黄金色をした飲み物」は一体どんな味なのだろう。それが宴席で供される場面もいいのだが、水筒に詰めてもらったのを飲むのがいかにも美味しそうだった。いや、どんな感想だ。
あなたの周りは、いたるところ広い世界。垣根をきずいてとじこもることはできても、垣根の中にいつまでも外の世界を入れないでおけはしないでしょう。(新版指輪物語1 191ページより)