これの存在に初めて気がついた
『 湿原の朝食 』 @ Nikko Senjougahara
前回の続き。珈琲野点にパンを齧ってきました。赤い実や小枝、枯葉、雪に落ちて冬の絵を描いています。ほんの少しでも陽がさすと落下物の周辺だけ雪が溶ける。これも自然の営みですね。湿原の鉄分が川を赤くしていて雪とのコントラストが美しい。
亡くなった叔父が暮らしていた町の景色を新しい職場の行き帰りに車窓から見ている。枯れてゆく木々と真新しいビルと川の流れ。景色はずっとここにあるけど、人も物も、変わらないでいられるものはひとつもない。叔父が生きていたら今日の景色をどんなふうに見ていたんだろうかと考える。もっといろんな話をしたかったんだよな。もう思い出すことしかできない。でもひとつでも多く覚えていられれば。
モバイルSuicaのクレジット連携をやめた。理由はカードの請求額を見るたびに驚いてしまうからである。一回1万円を月に2回チャージしたらそれだけで2万円も加算されてくるので心臓に悪い。ATMから現金チャージしてその場で精算される方が心の健康には良い(当社比)。
気候が良くなって規制が緩和されて学校へ行く人々、在宅勤務が解除されてしまったのであろう人々、外出を楽しんでいる人々と一緒くたになって毎日電車に乗っている。つらい。多分お互いにそれぞれみんな、つらい。でも私は私の痛みしかわからないから、この3年間在宅と無縁でひと気の少ない東京をひたすら徘徊した(ある種快適な)体験を経て今とてもギャップに苦しんでいます。と言う顔をして電車に乗っている。絶対に立ちたくないから始発駅までわざわざ戻って乗っているんだけど、さすがに我ながら何やっているんだかわからない。もはやなにも。
フォローしている方の投稿を見て、面白そうだったので買った。執筆陣に好きな作者が多かったのと、特にウティット・へーマムーンの名前があったのは大きい。届いてすぐ「心焦がすサイゴン」を読んだ。感情がねじ切れるかと思うほど良かった。へーマムーン氏の描くタイ人はチャオプラヤ川を原風景として強く抱いている。異国においても川は彼らの意識から切り離されることはなく、どこにいても彼らのチャオプラヤ川に繋がっている、そういう強い感情を今作にも垣間見た。生きることと国あるいは政治というものが強く密接し合い、混じり合って肉体をなす人々の人生。その、一場面。