西日が強く、舗装されたアスファルトが歪んで見えた。どこかから漂ってくる味噌汁の匂い、辿々しい調子で繰り返されるピアノの音色、ひたすら続いている音読の声、内容のはっきりしないラジオの音声、玄関前に立って上空を過ぎ去る飛行機を見ている人、廃業したクリーニング店の中に干されている家族の洗濯。フェイクグリーンみたいに見える植物たちと、人の目みたいに見える壁のネジ。「私」にとっての「あなたがた」は永遠に繰り返され、あまりにも多くの人生が同時に存在している。
自分のiPhoneを見て、イヤホンジャックがないことに今更しみじみと気がつく。かつてガラケーにアンテナがついていて、これをカラフルに光らせてみたりするという文化があったように、iPhoneを充電しながらジャックにイヤホンをさして音楽を聴くという行為は、これはこれで一つの文化だったのだと思う。イヤホンジャック廃止はそれ以前のやり方から言えば確かに不便な側面はあり、そのためにイヤホン用と充電用で二つの差し込み口がついたドックが販売されているのは当然と言えば当然だろう。しかしなんというか、この種の旧態維持が実現することによって得られる充足は、たぶんノスタルジーに似ていなくもない。
精神の調子が悪い時は何一つ面白くないし、いい時は最高に面白く読めるのがブコウスキーだと思う。何というかブコウスキー全般、ゼリーのカップに手を突っ込んでひたすら潰しまくった挙句、気付いたら全部溶けて液体になっていた時の虚無に大笑いしたい人生の人向き。
昨日から久しぶりにLOTRを見ている。まだ「旅の仲間」の中盤。序盤、エルロンドの館で九人の旅の仲間が決まる場面のやりとり(私は弓で戦おう!とか宣言して加わる)がいかにも民話的でいい。昔見た時は話についていくのに必死で好きなキャラクターにまで思い至ることがなかったのだが、今回はあちこちに視線が飛ぶ。特にガンダルフとサルマンという二人の存在と、対立する構図がとてもいい。他の作品でも、主人公の仲間が自分と同じ属性を持つ敵と一対一で戦うシーンが大好きなのだが、この二人においては「シニア名優対決」という点でも非常に熱いものがある。
勇気と情熱のガンダルフ、理性の果てに狂気的な冷酷さで悪に染まったサルマン。この二人の対立にどんな形で決着がつくのかは忘れてしまった。旅の終わりを再び見届けるのが楽しみだ。
私が日記を書こうとすると「最近○○していない」とか「できていない」とか未処理案件ばかり羅列して「だからなんなのか」という話になりがちである。今「映画館に全然行けていない」と書こうとして得た気付きなのだが、これはひとえにGOG Vol.3を見に行きたいのに見に行けていないからだ。でも少し前に黒鉄の魚影は見に行った。蘭おねえさん(丁寧語)がバルコニーから飛び出すシーンが派手すぎて「俺はマーベルを観に来たんだったか?」という気持ちになったし、最高に良かった。何にせよ、哀ちゃんもジンの兄貴も一生推せますね。
最近アンディ・ウィアーを読んでいるから自分の文章もあのスピード感に引きずられて前のめりになっている気がする。が、悪いことではないと思うようにする。日記をグダグダ書いても仕方ないので。
TOEICだった。よく出来たとも出来なかったとも言えない。模擬テストの結果と学習アプリの予測スコアがほぼ同じだったので、それくらいであれば良いかなあと思っている。
月曜から結構疲れている。昨日の夕飯は茄子の揚げ浸しとブロッコリー胡麻和え、青椒肉絲と甘酒の味噌汁を作った。さらに玄米を混ぜたご飯と、薄く作ったレモンサワー付き。これは外で食べたら2000円くらいするだろうなと自画自賛した。
副菜をいくつか作っておくと食事の支度が簡単でいい。料理は基本的に面倒でやりたくはない。何もなければ胡瓜でも齧っておけばいいくらいなのだが、時々作ることが妙に楽しい日がある。今日、茄子がまだ余っていたので味噌炒めにして、鶏を蒸して裂いておいた。二品。これ以上はやめておく。こういうことは疲れ果てるまでやっても仕方がないのだ。
8巻。セオデンが奮い立ちゴンドールへ向けて勇猛に馬を進める様子を兵たちが神話の人物かと見紛う場面がとても良い。エウォインの女であるがゆえの苦悩、苛立ちが丁寧に描かれているのも良かった。それがあればこそその後の活躍は一層輝いて見える。
指輪物語の文体や言い回しは、この物語の神話的な性格に相応しいものだと思うのだが、この巻は特に痺れる表現がたくさんあった。デネソールが自分と瀕死のファラミアに火をかけての無理心中を思い立った際、高熱のファラミアの手をとって「この子はもう燃えておる」は特に好きなシーン。
それからエーコの「プラハの墓地」は、まだ15%程度。面白い。この雰囲気は同じエーコの「薔薇の名前」を帯文で引き合いに出された「グノーシスの薔薇」(デヴィッド・マドセン)を思い出す。などと言うとエーコファンには怒られるのかもしれないが、私はこの本が大好きだ。こちらも再読する機会があれば、また。
うまくいっていない時は、あまり言葉にしたくない。写真の整理をなんとなくやっている。写真は別のブログに分けようかなと考えている。荷物を色々と整理していて、もう手放してもいいと思えるものがないけれど置いておく場所がない。余白。人生に必要なものは余白だなと思う。Macの変換は執拗に「四泊」を勧めてくる。それもいいな。カメラだけを持って雪の中を歩きたい。