”青痣が残る目の堰が切れた。家の裏、うち捨てられたオイル・タンク、一面の雑草、木の幹。人々が暮らし、去った場所。イーストは涙が涸れるまですすり泣いた。しかし、だからといって、実際には何も変わらないのだ。どんな言葉を聞いても、どんな光景を見ても、どんな思いを抱いても。筋肉のいたずらだ。涙腺が緩んだだけだ。”
Bill Beverly「東の果て、夜へ」早川書房
家に帰ってきてまた数十分とかで出かけなければならない時があって、暑いけど「すぐ出かけるのに靴下を脱ぐの面倒だな〜」と思って我慢しそうになったのだけど、よく考えたらべつに脱いだってまた履けば良いんだよな。サンダルに履き替えたって良いんだし。そう思い直して、靴下は洗濯カゴに放り込んだ。
できる人にとっては当たり前のことかもしれないけど、自分はこういうのが結構難しい。履き直す方が面倒な人は脱ぐ必要はないけど、嫌なら脱いでおけばいい。逃げてもいいじゃないけど、選択することに対してポジティブになりたいね。家の床は素足が快適だ。
Tumblrを作り直した。過去に作ったメインブログにサブで作成し続けていたけれど、フォローやスキはメインブログ(オタク活動)の名義になってしまうようで、その顔をオタク無関係な方に晒して回るのもどうなんだろうという次第で。新年だしね。ちょうどいい機会だ。
最近(といってもまだ数日だが)Twitterを休んでいるからTumblrが楽しい。読書感想とか、日記とか、写真を探して読んでいる。ゼロ年代初頭の個人サイト文化で育ったから、隣の家に住んでいそうな誰かのなんでもない日記を読むのが本当に好きだ。Twitterでもそうしたツイートに出会えないことはないのだけれども、探すのは結構大変だったりする。それでいて140字の世界だからちょっと物足りない。今日食べたものとか読んだ本の話をもっと長々聞きたいんだよ。
noteも少しやってみたけれど、これもあまり合わなかった。字数制限もなく自由に書ける場所ではあるが、ピックアップされている記事が自分の興味を外れているというか。「◯◯する方法」とか「◯◯だった私が△△した話」とか割と興味がない。レシピもレシピサイトで見たいし、有料記事のなんと多いことか……。Twitterにしろnoteにしろ「多くの人にとって有益で特別」でなければならないような空気を感じる。もちろんそれらがコンテンツとして優れている事には違いないだろうが、自分がそこで同じようなエンターテイナーを目指す気力があるかと言えば、全然ない。あくまでも私がそう感じているだけで、もっと気楽に使えている人だっているのだろうけれど。私が気楽に使えるのは結局、サイトか、ブログか、Tumblrなんだろう。Tumblrさんいつもありがとう。今年もよろしくお願いします。
私が日記を書こうとすると「最近○○していない」とか「できていない」とか未処理案件ばかり羅列して「だからなんなのか」という話になりがちである。今「映画館に全然行けていない」と書こうとして得た気付きなのだが、これはひとえにGOG Vol.3を見に行きたいのに見に行けていないからだ。でも少し前に黒鉄の魚影は見に行った。蘭おねえさん(丁寧語)がバルコニーから飛び出すシーンが派手すぎて「俺はマーベルを観に来たんだったか?」という気持ちになったし、最高に良かった。何にせよ、哀ちゃんもジンの兄貴も一生推せますね。
最近アンディ・ウィアーを読んでいるから自分の文章もあのスピード感に引きずられて前のめりになっている気がする。が、悪いことではないと思うようにする。日記をグダグダ書いても仕方ないので。