東京に来て随分経つけれど、この都市に対してずっとコミュ障を発揮している
「人々はばかげたユーザー名を作り、匿名でTumblrにジョークのスレッドを延々と作っていた。」楽しそうだなあ
昨日は切り干し大根の煮物、キャベツの和え物、ピーマンのきんぴらとつくねを作り、鶏肉を蒸した。まだ使わない豚肉には醤油をしておく。今日は余っていた鶏肉と豚肉を合わせて挽き、タコミートを作った。昨日の買い物はこれで大体手を入れたことになる。魚の干物は食べたい日に焼けば良いし、まだある野菜はぼちぼち副菜に使っていこう。
このところ料理をそれなりにしている。しかし料理が捗る時はだいたい、書いたり、書くことについて考えたりすることから遠ざかっている時なのだ、ときゅうりを切りながらふと思う。私にとって料理が楽しいというのは一つの状態であり、停滞でもある。そしてこの停滞に対して進展があるとすれば、書くことに没頭してそれ以外の全てを放り出している状態に他ならない。自分でエンジンをかけていかなければとは思うのだけれど。
ボンドエア、シャーロックが乗るはずだった飛行機、墜落を待つユーラスの孤独な旅。SHERLOCKにおいて飛行機は最初からずっと死出の旅であった。スティーブン・モファット、あるいは「彼ら」が飛行機という小道具に惹かれるのはなぜなのだろう。実際的な別れはこの小道具によっては生じないけれども、潜在的な、観念的な意味での旅立ちは常にここにある。ホームズはかつて19世紀で滝壺に落ちたように、21世紀ではビルから落ちた。落ちて死ぬのは肉体だけではない。飛んでいるものはいずれ落ちる。ジム・モリアーティが望んだように。幾度となく折り込まれるのはそうした摂理への冷めた目線であり、そうはなりませんように、という祈りにも見える。